上原富子さん(仮名)43歳当時に決断した、手元供養の体験談です。
上原富子さんの娘麻美さん(仮名)は、当時13歳で悪性リンパ腫が見つかりました。
当時16歳の姉・真由子さん(仮名)、18歳の姉・愛美さん(仮名)の3人姉妹のなかでも元気いっぱいで、小学生からバスケに夢中になっていた矢先だっただけに、家族皆で信じられない気持ちだったと言います。
13歳で悪性リンパ腫に
麻美さんに悪性リンパ腫が見つかったのは13歳の頃、右太ももの付け根に気になるしこりがあったものの痛みはなく、見つかった当初はあまり気にするほどでもなかったそうです。
けれども数週間、数カ月と時間が経過するうちに、気になっていたしこりがさらに大きくなっていました。
●受診をしたところ、精密検査を経て悪性リンパ腫との診断されます。
…月単位で病状が進行する中悪性度と言われ、その日から治療が始まりました。
実際に最初しこりを見つけていたころは痛みもなく、気にするほどでもなかったものが、悪性リンパ腫と診断された時期には、原因不明の発熱が続いたり、そのためか麻美さんは、夜中に大量の汗をかくなど、いつもとは違う症状があったそうです。
麻美さんは悪性リンパ腫が見つかってから1年間、頑張って闘病していましたが、1年後に亡くなりました。
門中墓には埋葬できない/したくない
富子さんは失意のなか、とても体や頭が動くような状況ではなかったと言います。
けれども同居していた義両親や、夫方の親族が「しっかりしなさい」と、どんどんと葬儀の準備が進みました。
葬儀の打ち合わせが進むなか、富子さんの義母が麻美さんのお墓について、このように伝えます。
●「麻美ちゃんは未婚だから、中央の門中墓には入れないの。裏の小さなお墓に埋葬されるからね。」
たしかに夫方の門中墓では、墓地の中央に大きなお墓があり、その裏方に小さな祠のような「お墓」がいくつかありました。
富子さんは以前、親族の女性がこの祠に埋葬されていたことから、薄々と気付いていましたので、ショックを受けることはなかったものの、何となく「麻美を門中墓に埋葬したくない」と思っていたことも事実です。
門中墓に入れたくない
富子さんがこの時、「麻美を門中墓に埋葬したくない」と思った理由は、「自分でもよく分からないけれど、誰か分からない他の人たちと一緒に埋葬したくない、と感じた」と言います。
「何となく」を繰り返す富子さんですが、きっと大切な娘さん「ひとり」を供養したかったのではないでしょうか。
●そこで親族は葬儀の後に納骨式をしようと準備を進めていましたが、富子さんが抵抗して、火葬した遺骨は一度、自宅へ持ち帰ることにしたのです。
火葬した麻美さんの遺骨はそのまま、しばらく富子さんご夫婦のベッドルーム脇に祀られています。
葬儀で読経供養を依頼したお坊さんも、「気持ちが落ち着くまで、骨壺をご自宅に置いておいても構いませんよ。」と、(仏教の教えとしてはご遺骨は埋葬した方が良いのですが)言ってくださったそうです。
同居の家には大きな沖縄仏壇が…
麻美さんの遺骨が、富子さんご夫婦のベッドルームで祀られていたのには、喪失のショックを癒す「グリーフケア」だけではなく、もうひとつの理由がありました。
富子さんご家族は義実家で義両親と同居していましたが、実家には大きな先祖代々位牌(トートーメー)を祀るお仏壇が、リビングに仕立てられていたためです。
●麻美さんのご遺骨を家のお仏壇脇に置こうとしたところ、「独身の女性は、同じ場所に祀ってはだめよ」と義母に言われます。
新しくお仏壇を仕立てて麻美さんの位牌を祀る必要がありますが、「新しいお仏壇を置く場所」がそもそもなかったため、ご遺骨をベッドルームに置く日々が続いていました。
後々聞くと、昔の女性はキッチン周辺などに小さなお仏壇を仕立てる風習が沖縄にはあったようですが、同居していた家では、キッチンにお仏壇を置くスペースなどは見当たりません。
そして「台所に麻美の位牌を置くのは抵抗がある」と富子さんが感じたことも、判断の理由です。
同居を解消、門中からの独立
「悪性リンパ腫で苦しい大変な想いをしながら亡くなった麻美を、亡くなった後も思うように供養してあげられない…」そう感じるようになった富子さんは、次第に精神が崩れ始めたそうです。
うつ病にはならなかったものの、鬱々と閉じこもりがちになり、義両親との会話もすっかりできなくなりました。
残された姉二人に対しては極端に心配性になり、二人にしか笑顔を向けなくなっています。
●そこで、富子さんの様子に心配した夫の建夫さん(仮名)は、義実家から出て、同居を解消することを決めました。
そして同居の解消とともに、門中からの独立を宣言します。
門中からの独立=門中墓に富子さんや建夫さんご家族が入ることはありません。
お墓は自分達で新しく建てなければなりませんし、同居を解消するからには、住居費も今後は掛かることになるでしょう。
けれども「その代わりに、麻美を自由に供養できる」権利を得たと、富子さんは感じたと言います。
お墓を建てる予算はなかったけれど…
義両親はもちろん、親族も富子さんご夫婦の判断には反対しました。
そのため新しくお墓を建てるにも支援はなく、お墓を建てる費用を貯めることもしていません。
同居を解消した当初から、麻美さんの遺骨は手元供養を検討してましたが、全てを自宅で祀れないと考え、「残りの遺骨はどうしたら良いか」方法を調べたところ、民間霊園で「遺骨の預かり」サービスがあることを知ります。
●ロッカー式の納骨堂のような施設で、管理費を毎年支払う限り、遺骨を預けることができるシステムです。
・遺骨の預かり…約33,000円/年間
この時点で富子さん達は、将来的にお墓を建てるかどうか、決めていなかったため、将来的にもお墓を建てて麻美さんの埋葬ができるよう、手元供養をした残りの遺骨は、この「遺骨の預かり」サービスを利用することにしました。
自宅で手元供養のお仏壇を仕立てる
富子さん家族は同居を解消した後、分譲マンションを購入します。
仏間はなかったものの、リビングの一角にお仏壇を仕立て、そこに麻美さんの遺骨を祀ることにしました。
コンパクトなモダン仏壇ではありますが、台付きのきちんとしたお仏壇です。
・台付き仏壇…約500,000円
・骨壺…約30,000円
・仏具セット…約50,000円
・位牌…約30,000円
・線香(消耗品)…約2,000円
・ロウソク(消耗品)…約1,500円
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合計…約613,500円
モダン仏壇とは「家具調仏壇」とも言われ、現代の住まいにもマッチするデザインが特徴で、リビングの一角に仕立てても違和感がなく、いつも麻美さんを身近に感じられたと、富子さんは感じています。
お墓を建てるかどうか、はまだ未定
麻美さんが亡くなり、同居を解消して手元供養の選択をしてから7年、当時16歳と18歳だった麻美さんのお姉さん達も、23歳・25歳と、すっかり大人になりました。
けれども自宅で祀られる麻美さんの遺骨を、富子さんご夫婦が亡き後、どのように扱うかは未だ未定だと言います。
●ただし、娘さん二人は嫁ぐ可能性が高いため、富子さんご夫婦は、継承者を必要としない室内墓所に、麻美さんと3人で入ることを検討しているそうです。
・室内墓所…約750,000円(家族約6名の遺骨まで収蔵可)
・年間管理料…約9,900円
まだ結婚をしていない麻美さんのお姉さん、真由子さんや愛美さんは、「このままご家族の手元供養をしても良いのでは?」と言っています。
けれども富子さんご夫婦は後々迷惑を掛けないよう、二人とも亡くなった時に、室内墓所に3人の遺骨が収蔵されるよう、生前契約をしようと検討しているそうです。
最後に
今回は10代の娘が亡くなったことをきっかけに、同居を解消し門中からも独立、娘の手元供養を選んだ富子さんご夫婦の体験談をお伝えしました。
麻美さんのお二人のお姉さん(真由子さん、愛美さん)が、「家族の手元供養をしても良いのでは?」と富子さんご夫婦に伝えたのには、仏壇・仏具店で見つけたブック型骨箱も理由にあります。
ブック型の木箱に粉骨した遺骨を納める手元供養では、一人分の遺骨だけではなく、お墓同様に家族の遺骨も納めることができるためです。
ただ昔のように家ごと継承する長男などであれば良いけれど、「真由子さんも愛美さんも、どこか他家へ嫁ぐかもしれない」と、富子さんご夫婦は、室内墓所の生前契約を決めています。
・【手元供養の体験談】母が亡くなり手元供養に。父亡き後は夫婦で「骨仏」へ
まとめ
娘が亡くなり手元供養を選択した富子さんの体験談
[1]門中墓への埋葬を保留にする
・ベッドルームに骨壺を安置
・娘を祀るスペースがない[2]同居の解消、門中からの独立
・新居に仏壇を仕立てる…約613,500円
※新居(分譲マンション)を購入[3]残りの遺骨を民間霊園で預かり
・遺骨の預かり…約33,000円/年間[4]室内墓所を検討
・室内墓所(家族6人の遺骨まで)…約750,000円※麻美さんの姉二人は、家族の手元供養も検討していた