【手元供養の体験談】早くに独立して疎遠になった両親。親孝行の手元供養

2022.11.03
【手元供養の体験談】早くに独立して疎遠になった両親。親孝行の手元供養

兄と姉がいる末っ子の石田桜子さん(仮名)は、5年前に両親を事故で亡くし、遠方に住んでいた両親の手元供養を決めました。桜子さんご自身は祭祀継承者ではありませんが、分骨してもらったそうです。今回は、ご両親の手元供養を選んだ体験談をお伝えします。

【手元供養の体験談】早くに独立して疎遠になった両親。親孝行の手元供養
6歳年上の兄、3歳年上の姉がいる石田桜子さん(仮名)は、5年前に両親を事故で亡くし、自宅での手元供養を決めました。

桜子さんご自身は末っ子で、ご両親の祭祀財産(お墓や仏壇など供養の対象となるもの)はお兄さんが継承しているのですが、生前の想いから、両親の遺骨を分骨したそうです。

今回は実家を離れて23年、疎遠になっていたご両親の手元供養を選んだ、石田桜子さん(仮名)の体験談をお伝えします。
 

高校入学をきっかけに大阪へ

高校入学をきっかけに大阪へ
子どもの頃から都会での暮らしに憧れを抱いていた桜子さんは、高校受験で地元の高校を選ばず、大阪と東京の私立高校を受験します。
 

<高校入学をきっかけに大阪へ>
●東京の高校に落ちたものの、大阪の高校受験に合格!
…晴れて憧れだった、大阪の高校進学をきっかけに、生まれ親しんだ実家から出ました。

 
この時、桜子さんはそれほど実家に未練はなく、「何かあればいつでも戻って来るだろう」くらいの気持ちで旅立ったと言います。
 

大学卒業後、父親と揉めて疎遠に

大学卒業後、父親と揉めて疎遠に
高校生活を満喫した桜子さんは、そのまま大阪の大学へ進学を決めました。
そのまま大学卒業の年となる22歳まで、桜子さんはほとんど沖縄の実家に帰ることがなかったと言います。
 

<父親と揉めて疎遠になる>
●16歳から22歳までの7年間で、3回ほどしか帰省していない桜子さんに痺れを切らした父親が、ある日電話で叱りつけました。

…と言うのも、高校受験で大阪と東京の私立学校を受験できたのは、東京と大阪に父方の兄弟(伯父)が住んでいたためです。

 
高校からの大学生活では、合格した大阪に住んでいた伯父の家でお世話になっていました。
けれども大学卒業後、桜子さんは「ひとり暮らしをしたい」と、両親に打診しています。

そこで「就職できずにアルバイトになるようなら、沖縄に戻って就職しなさい。」と、父親から反対を受けました。

●実は当時、恋人がいた桜子さんは、彼との同棲を望んでいました。

そこで「アルバイトになるかどうかも分からないのに!」と反発し、父親の同意を得られないまま、彼と同棲をすることになったのです。
 

父親と仲直りしたものの…

父親も桜子さんも二人とも頑固な性格が災いし、帰省どころか電話もしなくなってしまい、そのまま同棲中の彼と籍を入れました。

3年後には子どもが生まれ、両親にとっては孫にあたるのですが、大阪に来てくれたのは母一人だったそうです。
 

<父親との疎遠>
●その一年後、子どもの一歳のお祝いに、両親が大阪まで来てくれました。

…これがきっかけで、父親と仲直りはできましたが、以前のように仲良く話すことはできなくなっていたと言います。

 
父親と仲直りしたものの、以降は3年~4年に一度、桜子さん家族で数時間の帰省をするか、ご両親が大阪に来て、数時間の観光に付き合うか…、それほどの付き合いだったそうです。
 

父親と二人きりで話す機会も失ったまま、20年以上経った頃に突然起きた出来事が、両親の事故でした。

 

火葬場で両親の骨を分骨

火葬場で両親の骨を分骨
大学時代に父親と仲違いをしてから、どこかぎこちないまま、気付けば何十年も経っていた桜子さんは、日ごろから「どこかで昔のように父親と話がしたい」と考えていたそうです。

けれどもそんな願いも叶わないまま、ある日突然、両親が事故で亡くなります。
 

<火葬場で両親の骨を分骨>
●そこで桜子さんは、火葬場で両親の骨を分骨してもらいました。
…分骨していただいた骨を手元供養にするためです。

 
葬儀前に兄と姉に分骨の相談をしたところ、兄から「火葬場で骨上げの時に分骨できるから、その時に貰って帰れば良い」と言われています。

一度お墓に埋葬してしまうと、遺骨の取り出しから分骨まで、さまざまな手間暇や手続きが必要です。
 

火葬場であればその場で分骨ができて、後々お墓に埋葬する時に必要になる「分骨証明書」もその場で発行してくれます。

 
そのため分骨をするなら火葬場が最も行いやすく、良いタイミングでした。
 

分骨の手続きについては、下記をご参照ください。
沖縄で増えた分骨の手続きと予算の目安。埋葬した後も分骨はできるの?

 

残りの両親の遺骨は、門中墓へ

残りの両親の遺骨は、門中墓へ
両親の遺骨自体は予定通り、葬儀後に納骨式が行われ、門中のお墓に埋葬されました。

実家には桜子さんの6歳上の兄が、家族で同居していたため、両親の位牌も実家のお仏壇にそのまま祀られます。
 

<ご遺骨は門中墓、位牌は実家のお仏壇へ>
両親のお墓や御位牌は、お墓やお仏壇を継承する「祭祀継承者」だった兄が主に供養することになりました。

 
…けれども兄の奥さんが病気治療の最中だったたこと、そして桜子さんご家族が本州で暮らしていることから、四十九日法要までのナンカスーコー(七日焼香)を繰り上げ、納骨式まで葬儀当日に行っています。

葬儀から3日後、桜子さんご家族は帰宅しました。
 

分骨した遺骨を持ち帰り、自宅で手元供養に

沖縄の手元供養、遺骨を粉砕して祀る
桜子さんご家族は、分骨した両親の遺骨を大阪まで持ち帰り、自宅に祀ることにしました。
とは言え、実家で兄が主に供養をしていることもあり、小さな手元供養仏壇に祀っています。
 

<両親の手元供養仏壇を仕立てる>
ステージ…約70,000円
骨壺(2柱)…約33,000円×2柱分=約66,000円
仏具セット…約50,000円
・フォトフレーム(2つ)…約17,000円×2人分=約34,000円
・ロウソク(消耗品)…約1,500円
・お線香(消耗品)…約1,500円
—————————–
合計…約223,000円

 
桜子さんは、沖縄でご兄弟と仏壇仏具店に行き、手元供養に適したお仏壇の見当は付け、郵送をしてもらったそうです。

自分達家族だけでお仏壇を仕立てても良かったのですが、「ぜひ兄弟と一緒に選びたい」と感じたとのことでした。
 

将来の家墓を建立、自分とともに埋葬予定

将来の家墓を建立、自分とともに埋葬予定
突然の事故で両親を亡くしてから5年、桜子さんご家族のご自宅で、ご両親の手元供養を初めてからも5年です。

「今は私が日々のお勤めをしているから良いけれど、私が亡くなる頃には、何らかの方法を取らなければ…」と考えながら、まだ形にはしていないと桜子さんは言います。
 

<将来は家墓を建立も視野に>
●「大阪の民間霊園で家墓を建てる」と言う選択肢も検討中です。

…旦那様も分家で入るお墓がないため、予算150万円ほどでコンパクトな家墓を検討しており、自分が亡くなった時に、家族の遺骨も一緒に埋葬してもらうことを検討しています。

 
本州では特定の寺院を家で信仰し、その寺院墓地にお墓を建てる「檀家制度」が根付いていますが、幸いご主人も分家でお墓に縛りはありません

そこで宗旨宗派を問わず、入る人も自由な民間霊園でお墓を建て、自分達家族とともに分骨した両親の遺骨も納めようかと考えている、とのことでした。
 

※沖縄では馴染みが少ない「檀家制度」については、下記をご参照ください。
「檀家制度」とは、「戒名」は必ず必要?菩提寺(檀那寺)との関係性

 

最後に

以上が長年、両親と疎遠になっていた桜子さんが、両親亡き後に分骨して、離れた自宅で手元供養を選択した体験談です。

将来的に約150万円ほどの予算で、小さな家族の家墓を検討しているとのことでしたが、「もしかしたら、子どもの教育費で建墓予算まで回らないかもしれない…」と思う日もあるとも伝えてくれました。

その時には「子ども達の意見を聞きながら、私と一緒に合祀埋葬しても、海洋散骨などでも良い気がする…」と、漠然とですが、いくつかの可能性を考えています。
 

お墓を持たない葬送の選択については、下記にも詳しいです。
【沖縄のお墓】沖縄で増える「入るお墓がない!」問題、5つの解決方法とは

 

まとめ

分骨した両親の遺骨を手元供養
・高校入学をきっかけに大阪へ
・大学卒業時に父と揉めて疎遠に
・子どもが生まれ仲直りしたもののぎこちない
・突然の事故で両親が亡くなる
・生前の関係性から、遺骨を分骨して手元供養へ
(残りの遺骨は実家の門中墓へ埋葬される)
・手元供養仏壇…約223,000円
・今後は大阪で家墓を建て、家族と一緒に入る予定
・合祀埋葬や海洋散骨も、将来的にあるかもしれない


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