沖縄の御嶽(ウタキ)とは?琉球開闢七御嶽を巡る、沖縄のカミウガミ(神拝み)を解説!

2023.09.11
沖縄の御嶽(ウタキ)とは?琉球開闢七御嶽を巡る、沖縄のカミウガミ(神拝み)を解説!

沖縄では御嶽(ウタキ)と呼ばれる拝所があり、特に沖縄の始祖の伝説を辿る「琉球開闢七御嶽」は現在、国内外から訪問客がきています。本記事では、沖縄の御嶽(ウタキ)とは?琉球開闢七御嶽や、沖縄の巡拝行事「カミウガミ(神拝み)」が分かります。

・沖縄の御嶽(ウタキ)とは?
・沖縄の琉球開闢七御嶽とは?
・沖縄の正五九月に行うカミウガミ(神拝み)とは?

独自の自然信仰が残る沖縄では「御嶽(ウタキ)」と呼ばれる拝み処「ウガンジュ」があります。

特に沖縄の琉球開闢七御嶽は琉球王朝の時代から重要なウガンジュ(拝所)として拝まれ、現在は全国的に聖地・パワースポットとも呼ばれるようになりました。

本記事を読むことで、沖縄の御嶽(ウタキ)とはなにか?沖縄の琉球開闢七御嶽や、沖縄の正五九月に行う「カミウガミ(神拝み)」が分かります。
 

沖縄の御嶽(ウタキ)とは?

沖縄の御嶽(ウタキ)とは?
◇沖縄の御嶽(ウタキ)とは、琉球神道において祭祀を行う聖地です

琉球神道とは、古琉球・琉球王朝から古くから伝わる信仰を差し、固有の神様を持たずに自然を崇拝する多神教宗教を差します。

自然崇拝によるアミニズム的な要素が強く、霊石(ヒジュル)や山など、自然のあらゆるものが沖縄では御嶽(ウタキ)の対象です。
 

<沖縄の御嶽(ウタキ)とは>
[信仰] ・琉球神道
・ニライカナイ信仰
御嶽信仰
・自然崇拝
[特徴] イビ(積んだ石)へ拝む
・自然物が対象
女性が仕える(男子禁制)
・神話
[拝む事柄] ●琉球王朝
農業儀礼(五穀豊穣)
・国の平安
・海の平安
●地域信仰(個人)
商売繁盛
・家内安全
・健康祈願
・家族の繁栄
[拝み人] ●琉球王朝
ノロ(神女)、クディ
・琉球王朝の儀礼
●地域信仰
・門中(父方の血族)一同
ユタ(神女)
[現代] ●個人単位での信仰が多い
・パワースポット
聖地
・観光地

 
琉球王朝は宗教による統制を計るため、琉球王朝の神女「ノロ」は残したものの、地域信仰を先導する神女「ユタ」はしばしば弾圧していました。

けれども現在の沖縄で御嶽(ウタキ)は、琉球王朝の琉球神道、地域信仰の祭祀が行われた聖地、どちらも差すでしょう。
 

沖縄で御嶽を巡る「カミウガミ」とは?

まとめ:沖縄で正五九月の忌み月には巡拝します
◇「カミウガミ(神拝み)」とは、忌み月に行う巡拝行事です

「カミウガミ(神拝み)」とは、沖縄で忌み月とされる旧暦1月・5月・9月に行う巡拝行事を差します。

その昔には琉球王朝がノロ(クディ)を先頭に、ゆかりの御嶽(ウタキ)を巡拝し練り歩きました。
 

<カミウガミ(神拝み)、今と昔>
[時代] [拝み人] [様子]
(1)琉球王朝 [琉球王朝の儀礼]
●ノロ(クディ)
・琉球王朝の士官
・集落の人々
●ノロ(クディ)は馬に乗る
・士官がそれに従う
・多くのお供え物を持参
・大行列で行う
・何日も掛けて巡拝する
(2)昔の地域信仰 [門中の儀礼]
●ユタ(神女)
・門中一同が集う
・行列を作り練り歩く
(3)現代に多い [個人、家族単位]
●個人や家長
・御縁のある御嶽を巡る
・個人や家族で拝む
・1日で終わる
(もしくは1日ごと数か所)

 
沖縄の御嶽(ウタキ)を巡拝するカミウガミ(神拝み)は、かつては琉球王朝や門中、集落単位の大規模なもので、農耕儀礼や国の安泰を祈願する行事でした。

けれども農耕も廃れた現代では、個人や家族単位で商売繁盛合格祈願、夫婦和合、子育て祈願などなど、個人単位の祈願事を行う行事となっています。
 

沖縄の御嶽に巡拝ルートはあるの?

◇カミウガミ(神拝み)では、いくつかの巡拝ルートがあります

ただし現代まで残る門中行事としてのカミウガミ(神拝み)は、それぞれの門中の始祖を辿り、ゆかりのある沖縄の御嶽(ウタキ)を巡拝するため、門中や地域によって違うのが特徴です。

下記は有名な沖縄の御嶽(ウタキ)を巡る、カミウガミ(神拝み)での巡拝ルートの一例となります。
 

<カミウガミ(神拝み):沖縄の御嶽ルート>
[名称] [呼び方] [備考]
(1)首里拝み (スイウガミ) ・琉球王朝
・国王
・聞得大君
(最高神女職)
(2)東御廻り (アガリマーイ) ・琉球王朝
・国王
・聞得大君
・初穂儀礼
・琉球開闢七御嶽
●ニンマール(1年おき)
(3)浦添拝み (ウラシーガミ) 英祖王統にゆかり
・浦添地域
・浦添グスク
・浦添ようどれ
(4)中城廻り (ナカグシマーイ) ・今帰仁王子の子孫分家
護佐丸にゆかり
(5)今帰仁上がり (ナチジンヌブイ) ・中北山王系にゆかり
・後北山王系にゆかり
・第一尚氏王統にゆかり
・第二尚氏王統にゆかり
(多くの門中が拝む)

 
このように沖縄の地域や門中で御嶽(ウタキ)に拝むカミウガミ(神拝み)では、歴史上の人物の子孫分家により、始祖や王を参拝するため、移住者や観光客には巡拝しにくいルートでもあるでしょう。
 

<一般の人々も訪れやすい沖縄の御嶽(ウタキ)>
●けれども琉球王朝のカミウガミ(神拝み)で拝まれてきた沖縄の御嶽(ウタキ)は、琉球神道、自然崇拝による起源が多く、訪れやすい聖地です。

 
特にアガリマーイ(東御廻り)や琉球開闢七御嶽、例えば斎場御嶽(セイファーウタキ)などは、世界的にも沖縄の聖地として知られます。
 

アガリマーイ(東御廻り):沖縄の御嶽巡り

アガリマーイ(東御廻り):沖縄の御嶽巡り
◇アガリマーイ(東御廻り)は、沖縄の始祖を巡るカミウガミ(神拝み)です

カミウガミ(神拝み)のなかでも沖縄の始祖「アマミキヨ」が、琉球の島へ辿り着いてからの足跡を巡拝する、沖縄の御嶽巡り「アガリマーイ(東御廻り)」は、拝む人を選びません。

人間の始祖であり、ニライカナイに通じ、誰もがゆかりのある琉球開闢の祖「アマミキヨ」を辿る巡拝は、移住者や観光客にも人気です。
 

<アガリマーイ(東御廻り)>
[沖縄の御嶽] [読み方] [住所]
(1)御殿山 (ウドゥンヤマ) 沖縄県島尻郡与那原町与那原824
[バス停]与那原小学校前
(2)与那原親井 (ヨナバルウェーガー) 沖縄県島尻郡与那原町与那原556
[バス停]与那原
(3)イビヌ森 (イビヌムイ) 沖縄県南城市佐敷新里153
[バス停]佐敷町新里
(4)月代宮 (ツキシロノミヤ) 沖縄県南城市佐敷佐敷1155
[バス停]佐敷小学校前
(5)ティダ御川 (ティダウカー) 沖縄県南城市知念知名
[バス停]知念村知名・板馬
(6)斎場御嶽 (セイファーウタキ) 沖縄県南城市知念久手堅539
[バス停]知念村久手堅
(7)知念グスクの友利ぬ御嶽 (トモリヌウタキ) 沖縄県南城市知念知念上田原
(知念グスク内)
[バス停]知念村知念・知念
(8)知念大井 (チネンウッカー) 沖縄県南城市知念1072
[バス停]知念村知念・知念
(9)藪薩御嶽 (ヤブサツウタキ) 沖縄県南城市玉城百名643
[バス停]玉城村百名・百名入口
(10)ヤハラヅカサ 沖縄県南城市玉城百名
[バス停]玉城村百名・百名(回転場)
(11)浜井御嶽 (ハマガーウタキ) 沖縄県南城市玉城百名707
[バス停]玉城村百名・百名(回転場)
(12)受水走水 (ウキンジュハインジュ) 沖縄県南城市玉城百名1681
[バス停]玉城村百名・新原ビーチ入口
(13)仲村渠桶井 (ナカンダカリヒージャー) 沖縄県南城市玉城仲村渠724
[バス停]玉城村仲村渠・仲村渠
(14)ミントングスク 沖縄県南城市玉城仲村渠705
[バス停]玉城村仲村渠・仲村渠
(15)玉城グスクの御嶽 (タマグスクグスクヌウタキ) 沖縄県南城市玉城門原444
[バス停]玉城村仲村渠・仲村渠

 
斎場御嶽は日本国内ばかりか、世界的にも知られる沖縄の御嶽です。
沖縄では久高島も聖地と言われますが、この久高島への遥拝所も斎場御嶽場内にあります。
 

沖縄の琉球開闢七御嶽とは

◇琉球開闢の祖「アマミキヨ」にまつわる、沖縄7つの御嶽です

琉球開闢七御嶽とは、沖縄本島全域にい広がる琉球開闢の創造神「アマミキヨ」にまつわる、沖縄の御嶽(ウタキ)を差します。
そのためアガリマーイ(東御廻り)で巡る沖縄の御嶽も数多く入って来るのです。
 

<沖縄の琉球開闢七御嶽とは>
[琉球開闢七御嶽] [読み方] [住所]
(1)安須森御嶽 (アスムイウタキ) 沖縄県国頭郡国頭村宜名真
(辺戸岬の先)
(2)クバの御嶽 (クバのウタキ) 沖縄県国頭郡今帰仁村
(今帰仁城跡の近く)
(3)斎場御嶽 (セイファーウタキ) 沖縄県南城市知念久手堅539
[バス停]知念村久手堅
(4)藪薩御嶽 (ヤブサツウタキ) 沖縄県南城市玉城百名643
[バス停]玉城村百名・百名入口
(5)雨つづ天つぎ御嶽 沖縄県南城市玉城門原444
(玉城城跡内)
[バス停]玉城門原・玉城
(6)フボー御嶽 (フボーウタキ) 沖縄県南城市知念久高
(久高島西側)
(立ち入り禁止)
(7)首里真玉森御嶽 (シュリマダムイウタキ) 沖縄県那覇市首里当蔵町3-1
(首里城敷地内)

 
以上が現代の沖縄で琉球開闢七御嶽とされますが、時代や人によっても沖縄の「七御嶽」が変化します。
琉球開闢の祖アマミキヨにまつわる沖縄の御嶽はもちろん、伝説も多いためです。

アガリマーイ(東御廻り)で巡拝する玉城グスクの御嶽や、スイウガミ(首里拝み)で巡る弁ヶ嶽(ベンガタケ/ビンヌウタキ)が、沖縄の琉球開闢七御嶽に入ることもあるでしょう。
 

スイウガミ(首里拝み)で拝む沖縄の御嶽

スイウガミ(首里拝み)で拝む沖縄の御嶽
◇スイウガミ(首里拝み)は、琉球王朝時代にアガリマーイ(東御廻り)の前に行ってきました

琉球王朝時代に王朝が、正五九月の忌み月に巡拝したスイウガミ(首里拝み)も、移住者や観光客が巡拝しやすい沖縄の御嶽(ウタキ)が多くあります。
 

<スイウガミ(首里拝み)>
[琉球開闢七御嶽] [読み方] [住所]
(1)首里観音堂 (シュリカンノンドウ) 沖縄県那覇市首里山川町3-1
[バス停]都ホテル前
(2)メヅラ嶽 (メヅラダキ) 沖縄県首里寒川1丁目
[バス停]山川
(3)安国寺 (アンコクジ) 沖縄県那覇市首里寒川町1-2
[バス停]山川
(4)玉陵 (タマウドゥン) 沖縄県那覇市首里金城町1-3
[バス停]池端
(5)内金城の御嶽 (ウチカナグスクヌウタキ) 沖縄県那覇市首里金城町3-21-7
[バス停]石畳前
(6)園比屋御嶽 (スヌヒャンウタキ) 沖縄県那覇市首里真和志町1-17-3
[バス停]当蔵
(7)旧円覚寺 (キュウエンカクジ) 沖縄県那覇市首里当蔵町2
[バス停]当蔵
(8)弁財天堂 (ベンザイテンドウ) 沖縄県那覇市首里当蔵町1-3
[バス停]当蔵
(9)安谷井御嶽 (アダニガーウタキ) 沖縄県那覇市首里当蔵1-28
[バス停]当蔵
(10)万松院 (バンショウイン) 沖縄県那覇市首里当蔵町3-4-1
[バス停]首里支所前
(11)西来院(達磨寺) (サイライイン) 沖縄県那覇市首里赤田町1-5-1
[バス停]鳥堀
(12)雨乞御嶽 (アマゴイウタキ) 沖縄県那覇市首里崎山町1丁目
[バス停]崎山
(13)崎山御嶽 (サチヤマウタキ) 沖縄県那覇市首里崎山町1丁目
[バス停]崎山
(14)弁が嶽 (ベンガダキ) 沖縄県那覇市首里鳥堀町4丁目
[バス停]鳥堀
(15)ビンジュル毛 (ビンジュルモー) 沖縄県那覇市首里汀良町3-48
[バス停]汀良
(16)盛光寺 (セイコウジ) 沖縄県那覇市首里儀保町3丁目19
[バス停]儀保
(17)西森御嶽 (ニシムイウタキ) 沖縄県那覇市首里儀保町4丁目
[バス停]儀保
(18)末吉宮
(スエヨシグウ) 沖縄県那覇市首里末吉町1丁目8
[バス停]那覇市立病院前

 
その昔も南部へ下るアガリマーイ(東御廻り)の前に、旅の安全を祈願するため拝んできた「園比屋武御獄(スヌヒャンウタキ)」などが有名です。
 

[首里城公園の火災]
[日時] [状況]
・2019年10月31日 ・正殿を含めた8棟の火災
・2021年10月 ・約8割の公園エリアが見学可能
・2023年9月 ・2026年完成を目指し復元作業中

 

沖縄の御嶽での拝み方

沖縄の御嶽での拝み方
◇沖縄では御嶽によってお供え物も違いますが、一般的なお供え物はあります

家族単位でカミウガミ(神拝み)を行うようになった現代の沖縄で、御嶽(ウタキ)に供える一般的なお供え物は下記です。
 

<沖縄の御嶽での基本的なお供え物>
[お供え物] [内容] [数]
●ウサク ・お酒 ・1対、左右2杯
●ウチャトゥ ・お茶 ・1杯
●ハナグミ 花米
・乾いたお米
・1対、左右2杯
●アライミハナ 洗い花
・7回すすいだお米
・1皿、ハナグミの中央
●ウチャワキ お茶脇
・御馳走のおかず
・1皿
●果物の盛り合わせ

 
正確には沖縄の御嶽によっても違いますが、基本のお供え物です。
お供え物を供える木箱「ビンシー(瓶子)」があると便利ですが、必ず必要な訳ではありません。

タッパーなどに入れた簡易ビンシー(瓶子)で整えて良いでしょう。
お酒は銚子を1対2瓶に、おちょこに注いだお酒を供えると丁寧ですが、ワンカップ酒などを供えても大丈夫です。
 

 

沖縄の御嶽でのお線香

◇沖縄の御嶽で供えるお線香は、ジュウゴフンウコー(十五本御香)です

お線香は沖縄線香の「ヒラウコー(平線香)」が良いと考える人もいます。
ただ大切な沖縄の拝み事「御願(うぐぁん)」では、香り高い日本線香「カバシウコー(香御香)」を供えてきました。

昔の沖縄でカバシウコー(香御香)は高かったため、より安く収まるヒラウコー(平御香)を用いてきたためです。
 

<沖縄の御嶽で供えるお線香>
●ジュウゴフンウコー(十五本御香)
[お線香の種類] [内容] [本数]
●カバシウコー
(香御香)
・日本線香 ・5本、若しくは15本
●ヒラウコー
(平線香)
・沖縄線香 ・タヒラ半(2枚半)

 
家に神様を迎え入れる時の御願は、火を灯さない「ヒジュルウコー(冷たいお線香)」を、シルカビの上に乗せて供えます。

シルカビ(白紙)」とは習字の半紙を4つ切りに千切り、さらに二つ折りにしたものです。

沖縄の御嶽で供えたヒジュルウコー(冷たい線香)は、家に帰ってから、自宅のウコール(香炉)に火を灯して拝します。
 

 

今、沖縄の御嶽は聖地巡礼とも言われる

今、沖縄の御嶽は聖地巡礼とも言われる
◇現代、沖縄の御嶽は聖地とも言われ、国内外から観光客が訪れます

本来は琉球王朝の儀礼、もしくは門中行事として、ゆかりのある人々がカミウガミ(神拝み)を通して、沖縄の御嶽(ウタキ)を拝んできました。

けれども2023年現代、特に2020年の新型コロナ到来を受け、この不安定な時代に改めて家族単位の拝みとして見直されるようになっています。

沖縄の御嶽を巡るカミウガミ(神拝み)は「聖地巡礼」として、国内外から訪れる人々が増えました。
ただしゆかりのない人々が、沖縄の御嶽(ウタキ)を巡る場合、注意点もあります。
 

<現代、沖縄で御嶽巡りの注意点>
●ゆかりのない人々は、お墓の御嶽(ウタキ)を避けて巡拝すると良いでしょう。

 
またヒヌカン(火の神様)を迎え入れる流れも起きています。
沖縄ではヒヌカン(火の神様)は、家を守護する役割だけではなく、一度訪れたゆかりある神様仏様を繋ぐ、「遥拝所(ようはいしょ)」としての役割があるからです。
 

 

 

まとめ:沖縄の御嶽(ウタキ)は、自然信仰による拝所が多いです

まとめ:沖縄の御嶽(ウタキ)は、自然信仰による拝所が多いです
琉球王朝の歴史を持ち、独自の琉球神道による自然崇拝、祖霊信仰が根付く沖縄では、寺院仏閣ばかりではなく、自然のなかに石を積み上げた「イビ」に向かい拝む、沖縄の御嶽も数多くあります。

忌み月とされる正五九月に沖縄の御嶽(ウタキ)を巡るカミウガミ(神拝み)は、毎年行う門中や集落ばかりではありません。
 

<カミウガミ(神拝み)の間隔>
・3年マール(廻る) …3年ごとの巡拝
・5年マール(廻る) …5年ごとの巡拝
・7年マール(廻る) …7年ごとの巡拝

 
現代の沖縄では個人や家族単位で御嶽(ウタキ)を巡拝する人々も増えました。
それぞれの家庭で相性の良い年数を選ぶと良いでしょう。
もちろん、毎年の参拝でも問題はありません。
 



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