沖縄では手元供養を通してグリーフを乗り越える方が増えています。故人亡き後、行き場のない感情を故人へ打ち明けることで、気持ちが楽になる経験は、多くの方が持っていますよね。
コロナ禍でなくても頻繁なお墓参りを良しとしない環境のなか、よりショックやそれに伴う罪悪感、喪失感と向き合う方法として、沖縄では手元供養が選ばれているのでしょう。
特に今回は、長男嫁を突然自死によって失い、「向き合わなければいけない」そう感じたと言う、豊子さん(仮名)が、沖縄で手元供養を決断した体験談です。重い内容も含まれますが、必要な方に届きますようお届けします。
「そこまで苦しかったとは…」
豊子さんは長男家族、そして離婚をして戻って来た長女とその娘と、大家族で暮らしています。長男家族は嫁と高校生の長男・中学生の次男、そして小学生になったばかりの三男との5人家族です。
夫は15年前に亡くなり、地域の門中墓で眠っています。当然、豊子さんはもちろん、長男家族も門中墓に入るであろうと考えていました。実際にお墓参りの度に、「鬼籍に入ったら、一緒のお墓に入るから待っててね」と、長男家族も話していたそうです。
そんなある日の朝、突然長男嫁だった綾さん(仮名)が亡くなります。家族の誰にとってもあまりに突然のことでした。
朝一番に起きて朝食の準備をする綾さんでしたが、子ども達を起こす6時を回っても、綾さんがリビングへ降りてきません。それどころか、長男の孝明さん(仮名)も、子ども達も降りてこないため、そこで初めて豊子さんは異変を感じます。
【 沖縄で手元供養の体験談。突然のこと 】
● 長男家族の部屋がある二階へ上がると、そこには唖然とした様子で布団を見下ろす孝明さんがいました。子ども達は隣りのテレビ部屋のソファーで、ただじっとしています。
→ しばらくは状況を把握できない豊子さんでしたが、ふと布団へ視線を注ぎ、やっと綾さんの状態に気付いたそうです。
※ 綾さんはただ眠っているような様子でしたが、それにしては家族の様子がおかしい…、なによりも綾さんが全く動かない様子に違和感を感じます。
※ ふと我に返った豊子さんは、慌てて救急車へ連絡しました。暫くして救急車が到着し、綾さんは病院へ運ばれましたが間もなく臨終と判断されます。
この時には家族みな、心臓発作などの突然死を考えていました。救急車へ運ぶ時にいろいろ聞かれましたが、何も答えられません。
けれどもその後、綾さんは心療内科へ通っていたことが判明します。そこで処方された薬と、市販の薬を大量に飲んでいたことが死因でした。そして、「もしかしたら常習していたかもしれない」と言われます。
【 沖縄で手元供養の体験談。SOSを見逃していた 】
● 豊子さんも孝明さんも驚きましたが、今になって振り返ると数カ月前から、思い当たる節がありました。例えば、下記のようなものです。
・日中一人でいた
・友人関係を避け、引きこもりがちになった
・イライラしたり落ち込んだりと、気分にむらが出てきた
・激しい口論をするようになった
・最近痩せた
・自分を責める、戒める、自信がなさそうな言動がより増えた
・眠れない日が増えたようだった
・性格が急に変わったように感じる
・最近、ストレスが掛かったようだ
・体の不調を訴える
…などなどが、この時豊子さんが思い浮かべた「兆候」でした。
ただ、確かにイライラしたり自分を卑下する言葉が目立った綾さんでしたが、その時以外は至って明るく、あくまでも家族内だけで感じる「変化」くらいのものです。
けれども今になって、豊子さんは何度もある場面がリフレインすると言います。
【 沖縄で手元供養。今になって思い出す場面 】
● その半月ほど前のことです。就寝前に「おやすみ」と挨拶した時のこと…、綾さんが階段を上りながら、「はぁ疲れた、もう何もしたくない…」と笑いながら言っていたシーンです。
その時、確かに綾さんは笑いながら言っていましたが、今から思うと「何もしたくない…」が本心だったのでは?と、豊子さんは思ってしまうのだそうです。
ただ、後になって「あの時…」と思い返したところで時は戻りません。豊子さんは、「このような症状があったら、本人が嫌がっても病院に行かせるべきだ」と言います。
遺言書にお墓について言及
豊子さんが沖縄で手元供養を決めた大きな理由は、綾さんの遺言書を発見したためです。遺言書と言っても正式なものではなく、日記帳のようなノートに走り書きのようにしたためたものでした。
ただ、残念ながらこの遺言書の存在によって、豊子さんも孝明さんも、綾さんが自ら選んだ結果だと悟ります。
【 沖縄で手元供養。門中墓を遺言書で拒否 】
● 綾さんの遺言書には「門中墓に入りたくない」とハッキリと記されていました。その理由は書かれていなかったのですが、「あの世に行ってまで家事をしたくない」と言う意味合いだろうと、孝明さんは判断しています。
→ ただ綾さんの遺言書には、希望の葬送方法が明記されている訳ではありません。そこで、家族で丁寧に毎日供養をするために、また子ども達が今後も母親とともに暮らせるように、手元供養を選びました。
そして、書いたり書かなかったりとつぎはぎだらけの他のページを読み進めるうちに、孝明さんは「綾はオーバーワークによって、冷静な判断を失ったんだろう」と結論づけています。
けれども、確かに綾さんはオペレーターとして大量の仕事が課されていましたが、それでも「出勤制だったら、コロナがなかったら、結果は違ったのかもしれない」と孝明さんは思う日々です。
直接会うことなく、仕事上の人間関係に支障をきたしていたいたこと、出勤している社員との溝ができたこと…、何よりも相談ができずに孤独を募らせたことは、「仕事を変えても命を守るべきだった」と孝明さんは言います。
綾さんの両親と分骨
実は綾さんの遺体は病院で臨終を迎えた後、警察署で検視となりました。事件性を疑われたためです。そのため葬儀までには長い時間が掛かります。
ただこの時間は、豊子さん家族にとっては、今後の葬送方法を決断するために必要な時間でした。
沖縄では葬儀後すぐに納骨式を行う習慣があるため、この時間がなければ遺言書を見つけることもなく、綾さんの遺骨は迷うことなく門中墓に埋葬されていたことでしょう。
【 沖縄で手元供養の体験談。綾さんの両親と分骨 】
● そして綾さんが亡くなってから10日ほど経った火葬の日、参列した綾さんのご両親から分骨の相談があります。
→ そして火葬場で骨上げ時に分骨をし、綾さんの実家でも同じく手元供養を選びました。
これは綾さんの遺言書にあった「門中墓に入りたくない」の真意が、ハッキリと分からなかったためです。個人で建てたお墓であっても、「お墓に入りたくないのかもしれない、寂しいのかもしれない…。」と想いを巡らせた結果、沖縄で手元供養を決断しました。
いかがでしたでしょうか、今回は沖縄で長男嫁の手元供養を選んだ、豊子さんの体験談をお伝えしました。
豊子さんは家族でグリーフの会に参加するなど、まだまだ「過去の話」ではないと言います。そして「きっと33年忌を迎えても過去の話にはならないと思うよ、33年忌には、私も生きていないだろうけどねぇ…。」とお話くださいました。
また、同居していた長女は大きな罪悪感に苦しんだと言います。「離婚をしたばかりのストレスから、綾さんにキツク当たっていた…、羨ましいと思って嫉妬していた。」と打ち明けてくれましたが、きっと、多くの事柄が重なっただけではないでしょうか。
ただ、人はいつ何が起きるのか分からないと考えると、完璧ではないものの、少なからず故意に人を傷つけることなく、できる限り誠意を持って接したいと感じます。
※ この他、沖縄の手元供養やグリーフケアに関しては下記もご参照ください。
・沖縄で子どもを手元供養にした体験談☆ほっぺのような可愛い仏具を選びながら
・手元供養によってグリーフを乗り越えた自死家族の体験談。納骨堂から家へ迎えて…
・沖縄で喪失を乗り越えるグリーフケア☆無意識に訪れる症状と乗り越え方
・沖縄で手元供養を通して気付いたグリーフ。自分では気づかなかった症状に気付くまで
・沖縄で納骨した遺骨を手元供養にしたい!遺骨を取り出す改葬手続きとは
まとめ
長男嫁の遺骨を手元供養にした体験談
●兆候
・日中一人
・引きこもりがち
・気分にむらが出てきた
・眠れない日が増えた
・最近、ストレスが掛かった
・体の不調を訴える
など●家族が兆候を感じたらすぐ対処する
●手元供養を選ぶ
・遺言書で門中墓を拒否
・子ども達とこれからも暮らすため●実の両親が分骨を希望
・実家でも手元供養の選択