【手元供養の体験談】火葬場で分骨して手元供養へ。愛用していたお菓子箱に

2022.11.05
【手元供養の体験談】火葬場で分骨して手元供養へ。愛用していたお菓子箱に

東京へ嫁いでいた香保子さんは、お母様が他界した時、お父様を東京に呼び寄せます。今年祖母が亡くなり哀しむお父様を見て、祖母の遺骨を少し分けてもらいました。

【手元供養の体験談】火葬場で分骨して手元供養へ。愛用していたお菓子箱に
今回は「思いがけず手元供養になっていた」、山本香保子さん(仮名)42歳の体験談です。

香保子さんは東京へ嫁いでいましたが、5年前にお母様が他界し、一人残されたお父様を東京に呼び寄せます。

今年97歳の祖母が亡くなり哀しむお父様を見て、祖母のお墓やお仏壇を継承する伯父にお願いし、祖母の遺骨を少し分けてもらいました。
 

老々介護だったご両親

老々介護だったご両親
ひとり娘の山本香保子さん(仮名)は、東京の大学へ進学後、大学で知り合った男性と付き合い、そのまま東京へ嫁ぎました。
 

<老々介護になったご両親>
●ご両親は沖縄で夫婦水入らずの生活をしていましたが、お父様は10年前に脳溢血により半身不随となり、しばらくのリハビリ期間の後、お母様がメインで介護をする老々介護生活に入ります。

 
ひとり娘だった香保子さんは両親の様子は気になりましたが、親族が沖縄に住んでいることや、お母様が元気そうだったこと、また自分達自身も、子育て真っただ中で、東京と沖縄の行き来が難しいことがありました。

そんななかで5年前にお母様が突然亡くなります。
朝起きたらお母様は起きなかったのですが、後ほど香保子さんご家族は、お母様の死因がガンだったと知りました。
 

東京へ来ることを渋るお父様

お母様は葬儀の後に納骨式を行い、無事に門中墓に納骨されます。

その後は香保子さんの旦那様だけ東京に帰り、香保子さんとお子さま2人は、初七日まで沖縄の実家に残りながら、親族とお父様の今後を話し合うことになりました。
 

<お父様を東京へ呼び寄せる>
●親族のなかには、介護ホームなどへ入所の提案もありましたが、兼ねてから旦那様と相談をしていた香保子さんは、お父様を東京へ呼び寄せることにします。

…けれどもお父様は「東京に行きたくない」「この家の残る」と暫く行きたがることはありませんでした。

 
子ども達も東京へ帰した後、香保子さんはお父様を説得しようと四十九日法要まで沖縄に残ります。
そこで理由を聞くと「お母さんの遺骨が沖縄にあるから」とのことでした。

●最終的にはお父様も東京で住むことを納得し、お母様の御位牌とともに、5年前に東京で同居を始めています。
 

※香保子さんの体験談では諦めましたが、一度埋葬した遺骨を取り出す方法は、下記に詳しいです。
沖縄で増えた分骨の手続きと予算の目安。埋葬した後も分骨はできるの?

 

お母様のお仏壇を仕立てる

このような流れから、お母様は手元供養ができなかったものの(※)、御位牌を祀って供養ができるよう、お仏壇を仕立てることになりました。
 

<お母様のお仏壇を仕立てる>
棚上仏壇…約500,000円
仏具セット…約50,000円
・おりん…約33,000円
・ロウソク(消耗品)…約700円
・お線香(消耗品)…約1,500円
木彫り観音…約7,000円
——————————
合計…約592,200円

 
木彫り観音は、家族で仏壇仏具店へ行った時に出会った木彫りの観音様です。

香保子さんの旦那様の家は、宗旨宗派を問わない民間霊園にお墓があり、特別な宗旨宗派を持っていませんでしたし、それは香保子さんやお父様も同じでした。

けれども木彫りの観音様と出会った時に、お父様も香保子さんも、お母様を供養してくれるような気がして、お仏壇に祀りたいと思ったのだそうです。

97歳の祖母が亡くなり…

97歳の祖母が亡くなり…
そして今年、97歳になった祖母が亡くなりました。
けれども香保子さんのお父様は、家内での暮らしはできるものの、飛行機に乗って沖縄に帰省できる状況ではありません。

そのため家族を東京に残し、香保子さんだけ祖母の葬儀に参列しました。
けれどもお父様は祖母をとても愛していて、香保子さんご家族には充分に伝わっています。
 

<祖母の遺骨を分けてもらう>
●そこで、香保子さんは祖母のお仏壇やお墓を継承する「祭祀継承者(さいしけいしょうしゃ)」の伯父へ、祖母の遺骨を分けてもらえないかと、相談しました。

…伯父は快諾してくれて、香保子さんは火葬場で祖母の「喉仏」を分骨してもらい、東京に持ち帰ります。

 
この時、「これは義春(お父様の名前)も良く知ってるよ、形見にするといいよ。」と、伯父からいただいたのが、生前に祖母が愛用していたお菓子箱です。

小さな陶器のお菓子箱で、祖母は昔からこれを愛用していました。
針仕事の片隅にこのお菓子箱を置き、「ちょっと休憩」と言っては、お菓子箱から飴ちゃんや、小さなビスケットを取り出したと言います。
 

祖母の遺骨をハンカチに包んで

香保子さんは東京の自宅に戻ると、分けていただいた祖母の喉仏をお父様に渡しました。

お父様はお母様の遺骨が沖縄のお墓に埋葬されていることもありますが、祖母への想いもあったのでしょう、東京へ来る時に持っていた祖母のハンカチを出し、喉仏をそれに包みます。
 

<祖母の遺骨をお仏壇へ>
ハンカチに包まれた祖母の喉仏を小さなジップロックに入れ、そのまま祖母が愛用していたお菓子箱に納めると、お仏壇にお母様とともに祀りました。

 
今、お父様の体調から、毎年の旧盆時期にも沖縄へ帰省することはできません。
けれども今年の旧盆の時期には、ハンカチから喉仏を取り出し、皆で手を合わせて供養しました。
 

お母様のお墓も沖縄にありますが、お仏壇を仕立てたことで、お父様もお母様や祖母の供養が東京の自宅で充分にできて、「とても嬉しい」と言っています。

 

最後に

今回は祖母の遺骨を分けていただき、思い出の品とお仏壇に祀っていることで、「気付けば」手元供養になっていたと言う、山本香保子さんの体験談でした。

本州ではありますが旦那様も特定の宗旨宗派を信仰する「檀家制度」の縛りもなく、沖縄の供養の仕方とも違う、無宗教による自由な供養の形ではあります。

けれどもお母様はもちろん、戒名が書かれた御位牌ではなくとも、充分に祖母のお供養ができている、と香保子さんやお父様は感じているそうです。

何よりも沖縄から東京へ移住するに当たり、心残りだった配偶者への供養や、祖母への想いが、お仏壇を仕立てたり、手元供養をすることで、とても納得できていると、お父様が言っています。
 

※沖縄では馴染みの少ない「檀家制度」については下記に詳しいです。
「檀家制度」とは、「戒名」は必ず必要?菩提寺(檀那寺)との関係性

 

まとめ

気付いたら手元供養になっていた体験談
・一人娘が東京へ嫁ぎ、夫婦二人暮らしへ
・お父様が介護状態、老々介護へ
・お母様が突然の他界、お父様を東京へ呼び寄せる
・お母様のお仏壇を東京で仕立てる
・5年後、祖母が他界、お父様は参列できず
・祖母のご遺骨を分けてもらう
・祖母のご遺骨を仏壇へ
・旧盆などの帰省はできないが、自宅で供養


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